僕は、1991年福井県敦賀市に生まれました。
幼少期は健康体ではなかったらしいです。
親族の話だと、喘息や皮膚炎で入退院を繰り返して、両親や祖父母が交代で、看病をしてくれていました。
生まれてからずっと、中学2年生までは社宅で育てられていました。
「よそはよそ。うちはうち。」と言われ続けて、周りの友達が買ってもらっていたモノや、連れて行ってもらう場所を羨ましがっていた記憶があります。
母親は僕が、第一子だったこともあり、自分を「優等生の坊ちゃん」に育てようとして、何事も強制されることが多く、全てに反発していた10代でした。
親に山に捨てられたこともあるし、「もううちでは面倒見きれない」って言われて施設に送り込まれたこともあります。
本当に不幸な家庭に生まれたと思っていたし、ロクでもない人生しかもう残されていなんだろうなーとずっと絶望していた覚えがあります。
当時の反動で反抗期には、かなり酷い言葉を親をはじめとする周りの大人に吐き捨てて、やってはいけないことをやって、たくさんの人に迷惑をかけました。
修学旅行の時に買った木刀で物を壊したり、壁に穴を開けたりして今でも実家に帰るとその跡が残っていて、今の自分の経済力で直してあげたいなーと見るたびに後悔しています。
多分、僕に反省をさせるために、わざと直していないんだと思います。笑
その後、高校に入学するも勉強も部活も中途半端で、お金もない生活をしながら、なんの結果も出さずに、落ちこぼれていき、更に将来に絶望を感じたのを覚えています。
「社会から、一切の外的コントロールをなくしたい」「大切な人を守るために経済力は欠かすことができないものである」こうした想いは、この時期の原体験にもとづいています。
キャリーバッグ1つだけを持ち、当時日本で一番難しく、厳しいと言われていた高津理容美容専門学校に単身で上阪。僕は、友達も親戚も知り合いすらいない、実家が床屋でもない、まっさらの状態から、理容師人生をスタートさせました。このころの僕は、自信の「じ」の字もない、どん底の、目隠 しをされたマラソン状態でした。でも高校3年当時の残業代も何も出ないのに、「絶対お前のことを特待生で入学させる!」と夜遅くまで面接 に付き合ってくれた担任の吉田先生、専門時代にコンテンスターだった僕を絶対に見捨てな いで全部門でタイトルを獲るまで最後まで協力してくれた真吉先生。今まで何をやっても中 途半端で人のせいだった当時の僕は、出られるコンテストの全てでタイトルを獲り、主席で卒業、それを転機に、その後、多くの人や本との出会いに恵まれます。ナポレオン・ヒルの「成功哲学」。スティーブン・R・コヴィーの「7つの習慣」。
よくなりたい、よくなりたいと心の底から願って、求めて、行動し続けました。